「まいど!セレッソ」のオフ企画、選手別レビュー!
J1昇格を決めた2016年。選手にとってのこの1年を、日頃から取材を続けてきた番記者ならではの視点で振り返ります。


山口蛍の2016年

今年最初の取材は、伊丹空港だった。1月3日。初の海外移籍となる渡独前、最後の取材。その表情は、希望に満ちていた。ところが…。
ドイツで待ち受けていたのは、想像以上の苦難の道だった。山口蛍が移籍したハノーファー96は、2部降格圏内の17位で2015-16シーズンのウィンターブレイクを迎えると、その後も思うように勝点を重ねることができずにいた。第19節・レヴァークーゼン戦でブンデスリーガデビューを果たした山口も、ポジションや起用法が定まらず、思うように力を発揮することができない。先発フル出場で勝利に貢献した第23節・シュツットガルト戦が、ブンデスリーガで掴んだ唯一の勝利となった。
さらなる試練が彼を襲う。3月の2018FIFAワールドカップロシア アジア2次予選のシリア戦で、鼻骨骨折および左眼窩底骨折…。その後は1度もハノーファーでプレーすることなく、6月19日、セレッソ大阪への復帰が発表 された。復帰後の囲み取材 で「セレッソを離れて、セレッソに対する思いが想像以上に強かったことがわかった」と述べた言葉は印象的だった。
J2リーグ前半戦最後の試合、第21節・ロアッソ熊本戦 でセレッソ復帰を果たした山口は、復帰後しばらくは遠慮も垣間見られたが、時間の経過とともに、スペースを埋める献身性や人に強い守備だけではなく、積極的に試合を動かす縦パスやサイドチェンジなど、攻撃においても影響力を発揮。柿谷曜一朗が復帰して[4-2-3-1]に戻ったシーズン終盤は、彼本来の出足の鋭い守備が完全復活。J1復帰に大きく貢献した。また、26歳の誕生日当日、10月6日に行われた2018FIFAワールドカップロシア アジア最終予選のイラク戦で、後半アディショナルタイムに日本を救った劇的なゴールは日本中を熱狂させた。
起伏が激しく中身の濃い1年。最後は、「今年は成長できた年。苦しい時期も長かったけど、実りのある1年でした。クラブ、代表の両方で成長できた1年だったと感じています」という、J1昇格プレーオフ決勝後の言葉で、激動の2016年を締めくくった。

ライターからひとこと

“覚悟”を持ってセレッソへ復帰した彼の胸には、揺るぎなき意思の強さが加わっていた。もともとサッカーに関する分析力や、チームの長所、課題を見抜く目は的確だったが、そこに加えて、言葉で、姿勢で、率先してチームを良くしようとする“意思の強さ”が上乗せされた。
その思いの強さは、J1昇格プレーオフ決勝後に頬を伝った涙からもうかがえる。「昇格できなければ帰ってきた意味がないと思っていた」。試合後に述べたこの言葉に、セレッソに戻って戦った今季の全てが集約されていた。
率直かつ、忌憚のない意見を述べる彼を取材する時間は、刺激に満ちている。そんな彼が、来季に向けて「少し前の強かったセレッソを取り戻し、タイトルに向かって一丸で戦いたい」と話した。本当の意味でチームの中心となり、セレッソを、まだ誰も見たことがない新たな地平へ導く。その役目を、彼は担っている。

文・小田尚史

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