「まいど!セレッソ」のオフ企画、選手別レビュー!
J1昇格を決めた2016年。選手にとってのこの1年を、日頃から取材を続けてきた番記者ならではの視点で振り返ります。


柿谷曜一朗の2016年

FCバーゼルから1年半ぶりに復帰。
「試合を決定づける仕事を毎試合していきたい。プレッシャーもあるけど、そのプレッシャーに勝っていける強い気持ちを持って臨みたい。プレー以外のところでは、やっぱりセレッソでこの番号を付けてプレーするにあたって、チームの中心としてやらないといけないし、やる覚悟はある」
新体制発表会見で、背番号8のユニフォームをまとい、こう力強く意気込みを述べて始まった2016シーズン。
復帰後初ゴールは、第2節・水戸ホーリーホック戦 だった。キム ジンヒョンからのフィードに抜け出してゴールを陥れると、続く第3節・ザスパクサツ群馬戦 では、見る者すべての度胆を抜くダブルタッチヒールシュートを決めた(このゴールがJ2最優秀ゴールでないのは疑問だ)。シーズン序盤のチームを引っ張り、奮闘を続けたが、第17節 V・ファーレン長崎戦 で右足関節靭帯を損傷。当初は全治4週間と診断されるも、痛みが引かず、最終的には8月2日に手術をすることに。以降は、チームに貢献できない苦しい胸の内を抱えながらのリハビリの日々が続いた。チームもシーズン終盤に勝ち切れない試合が続くなど、自動昇格が遠のいていく。この負の流れが変わったのが、第40節・愛媛FC戦 。この試合でリーグ戦23試合ぶりに復帰すると、チームも4試合勝利なしの流れを絶ち切る勝点3を獲得。シーズン終盤の大きなターニングポイントとなった。
復帰以降も、“懸命な戦い”は続いた。午後から練習開始の日でも、午前中にはクラブハウスを訪れ、少しでも状態が良くなるようトレーナーと回復に努める日々。J1昇格プレーオフ決勝 の試合終盤は、「ピッチに立つこともできないくらいだった」と明かしている。それでも、満身創痍の体に鞭打ってピッチに立ち続けた彼の存在が、J1昇格プレーオフ2試合を含むシーズンのラスト5試合を無敗で駆け抜けたセレッソの原動力となったことは間違いない。昇格を決めて流した大粒の涙…。苦しんだ今季、最後は歓喜と安堵で戦いを終えた。

ライターからひとこと

「全試合先発フル出場」。今季、彼が「J1昇格」とともに描いていた目標だ。活躍が続いたシーズン序盤にインタビューしたときも、「今は結果が出ているからいいですけど、ここから先、辛いとき、苦しいときはある。この5試合だけで判断していたらサポーターも僕に対して甘いと思う。そこは自分も求めていないし、サポーターもそうは思っていないと思いますよ」とキッパリ語っていた。
シーズンを通してプレーできなかったことに、忸怩たる思いは強いだろう。それでも、キャプテンとしての存在感は抜群だった。リーグ最終節後のセレモニーでは、自動昇格を逃したことでブーイングも飛んだ大熊清監督の挨拶後に、「このブーイングが次は声援になるように、僕らは必ずJ1に上がります」と機転の利いたスピーチ でスタジアムを沸かせ、J1昇格プレーオフに挑むベクトルを1つにした。
「楽しくサッカーをやろう」。そうハーフタイムにチームを鼓舞して勝ちにつなげたリーグ戦最終節など、リーグ戦終盤は、彼の求心力、そして発信力の大きさを強く感じた。「仲間に助けてもらった」今季。その思いを返すのは、来季、J1のピッチだ。クラブとして3年ぶりに挑むJ1の舞台で桜の背番号8が輝き続ける姿を、セレッソサポーターの誰もが心待ちにしている。

文・小田尚史

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