思いがけず、短いオフになった。1月1日に天皇杯決勝を戦ったトップチームは、2週間足らずの休みを終えて、まもなく新しいシーズンに向けて集合する。

 2017年は、ひとことで言うなら驚きのシーズン。マイセレ恒例の記者座談会 は、年末の12月23日、天皇杯準決勝の試合前に開催させてもらったが、参加された前田敏勝さん、小田尚史さん、和田りつ子さんともに、「うれしい想定外」とニコニコされていた。さらにそのあと、天皇杯も獲得したのだから、望外の喜びと言っていいかもしれない。

2018年のスタートは最高の笑顔だった。
新しいシーズンが、セレッソに関わる皆さんにとって、さらにポジティブなものになりますように!

 1つのタイトルを獲ることが、こんなにチームを変えるのか、と何度も思わされた2017年。ルヴァンカップ優勝がJ1リーグ戦にも好影響を与え、天皇杯につながる好循環となった。これまで、何度も何度も優勝のチャンスを目の前にしながら、悔しい思いをし、呆然とする選手、涙するスタッフをいやというほど見てきた。なぜセレッソは優勝できないのか、なにが足りないのか、どうすれば優勝できるのか、何度も考えてきた。2000年1stステージで川崎フロンターレに敗れて優勝を逃した時、「マリノスだって、ジュビロだって悔しい思いをして強くなり、タイトルを獲ってきたんですよ」と言ったのは、勝矢寿延さんだった。

 2つのタイトルを手にしてみて、足りなかったなにかをセレッソは手に入れたのだろうか…と考えてみた。が、それはわからなかった。「今までの20数年間で、きっといつの間にか手にしていたんやで。そう思う」と、年明けにある人に言われて腑に落ちた。漠然としているが、やはり積み重ね、なのだろう。20数年の間に積み上げてきた、有形無形のものたちが、2017年になって結果を引き出してくれたのだろうと。

 元選手として初めて指揮を執った尹晶煥監督の功績はもちろん最大限に称えられるべきだが、監督として招へいしたことや、もっと言えば18年前、2000年に選手として獲得したことも、すべて「今」につながっているのだなと、しみじみ思う。タイトルを手にして、満面の笑顔を見せた選手たちもすべて、なにかしらの形でつながっているのだろう。

 積み重ねという点では、2007年にスタートした「ハナサカクラブ」が10周年を迎えた。今ではセレッソのなかに当たり前のように存在するこの育成サポート組織だが、当時は「ファンクラブとの差別化ができない」「お客さまから選手の育成費用をいただくのはおかしいだろう」と、批判のほうが多かった。「たとえJ2に降格して収入が減ったとしても、安定的に選手を育てる環境をつくりたい」というのが最大の目的で、その意図は当たった。2009年にJ1昇格を果たしたものの、2014年に再びJ2に降格の憂き目にあったのだから、もしハナサカクラブがなかったら、育てるという思想がクラブに根づいていなかったら…と思うとちょっとゾッとする。

 チームを強くするのは時間がかかる、ということは、今までセレッソを見てきて身に染みて感じてきた。ハナサカクラブへの理解をいただけるようになり、継続的にアカデミーで選手を育てるシステムと環境が10年の間に整ってきた。順調に選手が育成され、トップチームに送り込めるようにもなった。やはり10年かかるのだ。一朝一夕にはいかないとわかっていても、それなりの時間は必要だった。

 ずっと続いていくクラブの歴史の長さから見ると、わずか10年。だが、2つのタイトルを獲得した2017年までの10年間には、きっとまだ気づいていない、目に見えないたくさんのことがあったはず。ハナサカクラブを通してみる2007年から2017年までの10年間を、育成に携わった人たちの話、育った選手たちの言葉で綴り、「記念誌」として残しておきたい。セレッソを応援してくださる皆さまにお読みいただきたい。そう思っている。

 短いオフもそろそろ終わり。週明けからは新しいシーズン。胸いっぱいの希望を持って迎えたい。

※「ハナサカクラブ10周年記念誌」に関するプロジェクトはこちらをご覧ください。

文・横井素子


◆横井素子 プロフィール
奈良県奈良市生まれ。広告代理店勤務のあと、フリーランスの編集・ライターとしてセレッソ大阪の広報ツールの制作などに携わる。
1999~2000、2008~2011年はセレッソ大阪トップチーム広報担当、現在はセレッソ大阪堺レディース広報担当、セレッソ大阪公式ファンサイト編集責任者を務める。