2016年が始まった。
新しい年のスタートにお届けするのは、クラブの先頭に立つ玉田稔社長のインタビュー。1年でのJ1復帰がかなわなかった2015年の反省、そして気持ちを新たに迎える2016シーズンへの意気込みを聞いた。

日本一のサポーターに支えられた2015年

■まずは、就任1年目の2015シーズンを振り返って、いかがですか?
「J1に昇格できなかったこと、それは本当に残念に思います。久しぶりにサッカーの世界に戻ってきましたが、サッカーとは難しいなというのが正直な感想です。チームづくりも、経営も、サポーターの皆さんへの接し方も、あらゆるものについて、そう感じた1年でした」

■以前、セレッソに携わっていたころとは、違いましたか?
「セレッソが生まれる前から1997年まで関わったのですが、当時は常に上昇しかありませんでした。1994年にJFLで優勝して、その勢いで天皇杯の決勝まで行って、次の年にJリーグに参入したら開幕3連勝で始まった。選手もスタッフも社員も、何も考えずに一つの目標に向かってダーッと突っ走っていたという感じがありました。
以前のインタビュー で言いましたが、今回セレッソに帰ってきて感じたのは、なんか変やなということでした。みんな一生懸命やっているのにベクトルが合っていないというか、一つの集団になり切れていないというのをすごく感じました。幸い、2015年はJ1という一つの明確な目標があり、それに向かって、何をしたらいいかというのをもう一度考えて、ということでスタートさせました」

■チームについてはどのように振り返りますか?
「私は、監督や選手が決まっていたところに就任しましたが、パウロ・アウトゥオリ前監督の第一印象は、しっかりした監督だなというものでした。初めて選手に自分の考え方を説明した時は、パワーポイントを使ってピッチをいくつにも線引きして割ったものを見せて、このゾーンではこういうことをやってはいけない、このゾーンではこういうことをやらなければならない、とすごく細かく説明したんです。約束ごと、決めごとは30項目ぐらいありました。さすが世界で戦っている監督だけあって、こんなに細かいことを指示するんだと驚き、期待を持って見ていました」

■しかし、シーズン終盤には監督交代が行われました。
「今から考えると、最初に監督が細かく説明したことは、自分が長年培ってきたポリシーやストラテジー(戦略)に個々の選手をはめこんでしまっている、ということでした。夏ごろに、このままでいいのか、監督を替えるべきなのか、という思いはありました。なぜかと言うと、勝っていいゲームをしているのにどうしてメンバーを変えるのか、と。せっかく上昇気流に乗れそうになっても、自ら落ちていくということがありました。ですが、私のトラウマとしてあったのが、前年(2014年)に監督を3人も起用して失敗したこと。だから、なかなか監督交代に踏み切れませんでした。
2015年11月17日に発表された監督交代。玉田社長の苦渋の決断だった。

我慢してきましたが、選手たちにイキイキ感がない、はつらつさが感じられない。決められたパズルの中でプレーしなさい、枠の外に出るなと言われているような選手たちがかわいそうになりましたし、この状態で、ホーム最終戦で東京Vと戦うのはサポーターの皆さんに対しても申し訳ない。残りはリーグ1試合とJ1昇格プレーオフを合わせて最大3試合だけど、このままだとものすごく悔いが残る。そう思いました。長崎戦(11月14日)が終わった夜のことです。翌日の日曜日にじっくり考え、交代することを決めました。選手には、『残念だけど、当初の目標(自動昇格)は達成できなかった。なぜ監督を替えたかというと、サッカーにワクワク感がまったくなく、みんながサッカーをやらされているような気がして仕方がない。残りはプレーオフを入れて3試合しかないし、このタイミングで監督を替えることはものすごく冒険だけれど、大熊暫定監督(当時)の下で、イキイキはつらつとしたサッカーをして、悔いのないように終わってほしい』というような話をしました」

■J1昇格プレーオフ決勝は、先制しながら追いつかれてドロー。あと一歩で昇格を逃しました。

「悔いが残るといえばそこだけれど、3位の福岡とはリーグ戦では勝点が15も開いていた。もちろん悔しさはありますが、そこはぜいたくな望みだったのかな、残念ながらそれだけの実力しかなかったのかなと考えています。もし、あの試合に勝って昇格していたら、戦力補強も含めて、相当なことをしないとJ1には残れないだろうなと思います。福岡戦は2点目が取れず、最後の5分でやられるという、まさしく1年を象徴した試合だったと振り返っています」

■ただ、あの3試合は、サポーターの皆さんも試合を楽しみにしてスタジアムに来ていただけた気がします。
「選手たちも思い切ってサッカーをできる喜びが出てきて、躍動感は感じました。でも、あの3試合で、流れの中で点が取れたのは、プレーオフ決勝の玉田圭司選手の1点だけ。そういう意味で、得点力不足、決定力不足というのは大きな課題だったなと思います。先に1点を取って追いつかれた試合がすごく多かった。岡山戦(第3節)は83分の失点で引き分け、群馬戦(第8節)磐田戦(第12節)は逆転負け、長崎戦(第14節)もそう、愛媛戦(第27節)でもやられて、とにかく点が取れていない。攻撃的なサッカーが影をひそめてしまいました」
どんなときも、熱くチームを支えてくれたサポーター。2016年こそ、ともに歓喜を味わいたい!

■それでも、試合には常に多くのサポーターの皆さんに来ていただきました。
(大熊清監督就任の)記者会見 でも言いましたが、本当に日本一のサポーターだと思いますね。一番驚いたのは、6月1日アウェイの札幌戦 。月曜日のナイトゲームにも関わらず、2000人ぐらいのサポーターが来てくれていました。すごかったです。また、熊本だったと思いますが、試合前に街で会ったサポーターの方に『早くJ1に上がってください』と声を掛けられて、『もちろんです。昇格のためにみんなで頑張りましょう』と話をしたら、『J2だと日曜日が試合で、アウェイに来たら月曜日は会社を休まないといけない。家族サービスもできないし、家庭が壊れます』と、笑いながらだけど言われました。本当にそうだなあ、と。土曜日ならともかく、日曜日の夕方や夜に遠くまで来たら帰れない。しかも勝って帰る試合もあれば、不満の溜まる試合もたくさんあったと思います。そのなかで最後まで応援してもらったことは本当にすごいことでした。(山口)蛍も言っていましたが、ヤンマースタジアム長居よりキンチョウスタジアムのほうがやりやすい、と。スタンドが近くて、サポーターとの距離が近いのはものすごく後押しになると言うんです。キンチョウスタジアムの改修を早く進めないといけないなと感じています」

★スタジアム改修について、大熊清監督へ期待すること、スタートするセカンドチーム・U-23について…2016年のセレッソについては後編で!

構成・文 横井素子
※この記事は、12月25日に行ったインタビューを中心に構成しています。