自分が一番やりたいのは、
セレッソでもっとすごい選手になること

 2014年7月の涙の別れから1年半。柿谷曜一朗が、背番号8が、セレッソ大阪に戻ってきた。
誰もが待っていた今回の復帰。スイスでの経験、決断の理由、チームに合流した心境、クラブへの思い、今シーズンに懸ける意気ごみ…すべてを本音で語った。


■1年半ぶりのセレッソ、舞洲の雰囲気はどうですか?
「特に…何も変わっていないかな。今まで通りって感じです。選手が変わっているから、多少はチームの雰囲気も違うかなと思いますけど」

■スイスにいた1年半、どういう思いでセレッソを見ていましたか?
「行った年(2014年)は、セレッソがJ2に落ちたから、申し訳ないなという思いでした。もっといい状態、チームの底上げができたいい状態で出て行くならともかく、悪い状況で、逃げるような形で出て行ってしまったから。自分が行きたいタイミングと、オファーのタイミングが重なったことはもちろんあるけど、しっかり自分の責任を果たしてから行くべきやったのかな、とも思います。J2に降格してしまったことについては、責任を感じているところはあるし、自分が責任もってやっていれば…という思いもあって、半年間見ていました。  去年は、ただただ勝点を稼いでJ1に上がってほしい、と思って見ていました。時差の関係で見られる試合と見られない試合があったけど、なるべく見ていました。特にJ1昇格プレーオフはずーっと見ていました。ああいう結果になって、俺も悔しいけど、去年1年間のセレッソについては何も知らないし、ただみんなで頑張ってきた結果、アカンかったから、自分がどうこういう必要はないと思う。でも、何かが足りなかったから上がられへんかった。もっと、強いセレッソというものを維持できるチームにならないとアカンなと感じました。今、J1で強いチームには、しっかりとした精神的な大黒柱になる選手がいる。セレッソでは、そういう選手は森島(寛晃)さんやアキ(西澤明訓)さんがいなくなってから出てこなかった。チームの方向性もあるし、活躍したら海外に行くという流れで変わってしまったところもあります。ただ、(海外に)行かないとわからんこと、行かないと経験できへんことはたくさんあるし、自分にとっては夢でもありました。何ひとつ間違ったことはしていないと思っていますけど、セレッソに対するリスペクトが足りていなかったのかな、とは思っています」

■スイスでのプレー、生活を経験して得たものとは?
「辛かったり、楽しかったり…まあ苦しいことや辛いことのほうが多かった気がします。ただ、言葉の問題はあったけど、サッカーをする上で言葉は関係ないし、チームメイトには十分信頼してもらっていました。パスが出てこないとか、そういうのは全然なかったけど、自分の欲しいタイミングでもらえなかったり、向こうの選手はどうしてもエゴがすごいから、なんでそんなこと無理やりやるんやろ、というようなことする。でも、それがゴールに繋がって評価されたりするんです。自分が認められて、次のステップ、次のクラブに行くんやっていう考えを持っている選手が多いし、もちろんステップアップすることはいいけれど、チームとして戦うという部分で、ちょっと違う気がしました。
 チームでメッチャ仲良くなった選手もいるし、それこそ(山口)蛍みたいに、いつも2人で練習して、メシ食いに行ってという関係の選手もいました。チームの中の雰囲気は何の問題もなかったけど、試合に出られない、このままいてもサッカーはできへんなと思っていました。向こうで何をしていても、『セレッソやったら』とか『セレッソの選手とやっていたら』とかいつも頭にあって、試合に勝った負けただけじゃなくて、セレッソの誰かがケガをしたとか、そういうことも気になっていました。そんななかで、セレッソから(復帰の)話があって、また一からやろう、という気持ちになりました」

■スイスリーグの冬休みで帰国したタイミングでオファーがあったのですか?
「はい。森島さんから8番を受け継いだ、最初の後継者は(香川)真司くんだと思います。その8番を捨てて海外に行って、でもやっぱりもう1回着けたいと言って戻ってきたのは自分だけ。それだけ、この番号に誇りを持ってやれる自信はあるし、やるべきやと思っています。海外でやれば規模も違うし、1試合活躍すればビッグクラブに行けるかもしれないというシビアな世界でやることが、サッカー選手として多分いいことやと思います。
  でも、俺にとって一番やりたいことって何やろう、って。今まで、いろんなやりたいことがあって、海外でもやってみたい、セレッソの8番つけてやりたい…。でも、思っていただけで、その先のことを考えていなかった。海外に行った場合に、次の具体的な目標がなかった。バーゼルで試合に出て、チャンピオンズリーグに行って、どこかからオファーがあって…とその時々の考えはあったけど、やっぱりセレッソで8番着けて、J1で優勝して、クラブワールドカップに出たい…という思いがどうしても勝ってしまう。『自分を信じて、もっと高いところに目標を置けよ』って言われるやろうけど。『ほかのJ1のチームとか、ドイツのチームとかに行ったほうがよかったんちゃう?』とか、『バーゼルに何しに行ったんや』とか、試合に出ていないからそう言われるだろうけど、でも、すごくいい経験になった、この1年半。バーゼルっていうヨーロッパでは名前のあるチームでやれたことは、誰でもできることではないとも思います。でも、自分が一番やりたいのは、ここで活躍して、ここでもっとすごい選手になること。それが、自分が一番カッコいいと思うこと。バーゼルで試合に出ている自分はカッコいいと思わへん、というのが自分の中でありました。もろちん、バーゼルには最高なスタジアムがあり、最高のサポーターもいた。雰囲気も良くて、楽しかったですけど」

Vol.13【後編】につづく

構成・文 横井素子
インタビュー:1月19日