まいど!セレッソ~マイセレ~のオフ恒例企画「選手別レビュー」。
各選手の2018年がどんな1年だったのか、番記者・小田尚史さんが綴ります。


山口蛍の2018年

 チームキャプテンとして、ACLにも出場するワールドカップイヤーに臨む。2014年と同じシチュエーションで迎えた2018年。山口蛍は第25節・浦和レッズ戦を除くJ1リーグ戦33試合にフルタイム出場。チームの柱として戦い続けた。
 リーグ戦とACLを並行しての戦いとなったシーズン序盤、彼が特に口にしていたのは、「連戦は1つ負けると連敗してしまう可能性もある。ズルズル行かないように、自分たちで崩れてしまわないように」ということ。J2に降格した4年前の苦い経験も踏まえ、「繰り返してはいけない。チーム一体となって戦わないといけない」と事あるごとに話していた。チームとしての成長を示すべく戦った結果、ワールドカップによる中断期間までは、ACLこそグループステージで敗退してしまったが、J1リーグ戦では2位と勝点差『2』の4位で終えた。
 自身2度目となるワールドカップの日本代表に選出され、グループリーグ第3戦のポーランド戦に先発して日本代表のグループリーグ突破に貢献。もっとも、決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では2-2の状況で途中出場し、試合終了間際に劇的な決勝点を決められる苦い経験も味わった。帰国後、しばらくは気持ちの整理を付けるのに時間を要していた様子だが、4年前のようにケガで離脱することはなく、コンディションを保って戦いの場をJリーグに戻した。
 シーズン終盤、チームが勝ち切れない時期は苦しい胸の内を吐露することもあったが、「まずは1人ひとりがピッチの中で100%やることが大事」というポリシーを貫き、気丈に戦い続けた。ホーム最終戦となった第33節・柏レイソル戦後の挨拶の途中、思わず涙ぐむ場面 も見られたが、J1リーグ最終節 の後は「今日は試合内容も含めて尹さんとやってきたことをしっかり出せた。今はスッキリとした気持ち」と晴れやかな表情でシーズンを終えた。

ライターからひとこと

 セレッソ大阪のアカデミーからトップ昇格を果たした2009年から昨季で丸10年。この間、山口蛍選手ほどいろいろな経験した選手はいないのではないでしょうか。プロ1、2年目はなかなかトップチームで出場機会を掴めずにいましたが、コツコツ自身の力を磨いていくと、まずブレイクしたのは関塚隆監督が率いたロンドン五輪日本代表でした。“ボールを奪えるボランチ”としてのプレースタイルが確立され、同代表での存在感を高めていくと、2012年以降はチームでも確固たるポジションを掴みました。ロンドン五輪本大会では、縦横無尽の活躍で4位という結果に貢献。その後のブラジルワールドカップ、ロシアワールドカップと2度のワールドカップ出場は、セレッソでは森島寛晃さんに並ぶ偉業です。
 これまで、彼と向き合い続けた過程における様々なコメントを読み返してみると、飾ることなく素直な胸の内を明かしてくれていることに改めて気付きます。もともと、率直でストレートな言葉が山口選手の特徴でもあります。取材時は、こちらも構えすぎることなく率直な質問を投げかけることを意識していました。
 ピッチでは、試合だけではなく、練習から常に100%で取り組み、1本のダッシュ、1回の競り合いに魂が込められていた山口選手。来季以降、そんな“セレッソ大阪の山口蛍”が見られないことに心残りはありますが、覚悟を持って決めた移籍だと思います。まだまだ十分に成長の余地が残されている選手。新天地では、同ポジションにお手本となる選手もいます。ボールをもらう前の動き、受けてからの視野の広さ、吸収すべきプレーはたくさんあるはずです。ここから先はライバルにもなり、セレッソの番記者として彼を追い続けることはできませんが、チームと日本代表の往復が続く中でも弱みを見せることなく不動の心で戦い続け、これまでセレッソに貢献し続けてきた歴史は変わりません。改めて、そのことへの敬意を表し、今後も1人の選手としての成長を願っています。

文・小田尚史

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