まいど!セレッソ~マイセレ~のオフ恒例企画「選手別レビュー」。
各選手の2018年がどんな1年だったのか、番記者・小田尚史さんが綴ります。


山村和也の2018年

 前線からの迫力あるプレスに、打点の高いヘディング。トップ下とセンターバックの二刀流として活躍し、Jリーグ全体に衝撃を与えた2017年。山村和也は、本職のボランチに加えて、天皇杯決勝 では杉本健勇の欠場により1トップも務め、最終的には4つのポジションをこなした。「その気になれば、GKもできるのでは?」とも思わせる、センターラインのポジション制覇には、ただただ驚くばかりだった。
 迎えた2018年は、シーズン序盤から中盤にかけてはボランチでプレー、終盤戦は前線でプレーするも、前年ほどプレータイムを伸ばせず、本人も「悔しさが残る1年でした」と無念の思いをにじませた。それでも、第32節・川崎フロンターレ戦 では途中出場で値千金の決勝点を決め、最終節の横浜F・マリノス戦 でもビハインドの状態から同点ゴールを決めた。
 起用されたポジションや意図をしっかりとくみ取り、指揮官の期待に応えようとするプレーが印象的だった。J1で戦ったこの2年間に関しては、「尹さんは、守備のベースを作りながら、結果を出すことに力を注いでくれたと思うので、簡単には負けないチームになったと思います」と振り返る。3年という「長いようで短い(移籍発表時の本人コメント)」期間ではあったが、濃密で、印象深いプレーの数々をセレッソ大阪に残してくれた。

ライターからひとこと

 2016年。鹿島アントラーズから山村和也がやってくると聞いた時、「えっ?あの山村和也?」と目を丸くしました。というのも、山口蛍選手とボランチでコンビを組んで2010年のアジア大会を優勝し、その後もロンドン五輪に挑むU-23代表で扇原貴宏選手とポジション争いを繰り広げた山村選手は、セレッソサポーターにとってどこか他人とは思えない、親近感を抱かせる選手の1人だったからです(少なくとも記者は)。“技術がありながら身体能力も高く、ロマンにあふれた選手”といった印象もありました。セレッソと山村選手との出会いに、かなりワクワクしたことを覚えています。
 聞けば、ほかにJ1クラブからのオファーがありながらも、当時J2にいたセレッソで挑戦する道を選んだ、とのこと。鹿島を出て、並々ならぬ決意と覚悟を持って大阪の地にやってきたことを、飄々と(話の中身は熱いのに!)話してくれたことを、昨日のことのように覚えています。そこからセレッソで刻んだキャリアについては、ここで1つ1つ記していてはスペースが足りません。一言で言えば、「セレッソに来たことは間違いではなく、お互いにとってすばらしい出会いになった」と。

 人柄の良さも折り紙つきだった山村選手。得点しても感情が表に出ないことに対しては、「これまで、あまり点を決めたことがなかったから、どう喜んだらいいのかわからないんですよ(笑)」とハニカミながら話す姿が恒例にもなっていましたが、選手同士の座談会などで見せる“素”の表情は、とても魅力的でした。
 また、アウェイの遠征を見送りにきた息子さんが、パパと離れることを寂しく思い、泣き出してしまったこともありました。困ったような顔でなだめていた山村選手でしたが、“山村家”は選手も憧れる素敵な家族でした。新天地でも、チームメイト、サポーター、クラブスタッフ、各方面から愛される様子が目に浮かびます。別れは寂しいですが、新たな道でも山村選手らしく、チームに貢献しながら歩んでいくのだろうと思います。セレッソと対戦するときは、どうぞお手柔らかに。

文・小田尚史

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