まいど!セレッソ~マイセレ~のオフ恒例企画「選手別レビュー」。
各選手の2018年がどんな1年だったのか、番記者・小田尚史さんが綴ります。


杉本健勇の2018年

 J2リーグで14得点を決めてセレッソ大阪のJ1昇格に貢献した2016年。J1リーグで22得点を決めて得点王まであと一歩に迫った2017年。川崎フロンターレからセレッソへ復帰後、杉本健勇の活躍は目を見張るものがあった。
 ホップ(16年)、ステップ(17年)、ジャンプとするべく迎えた2018年は、17年末に左足関節関節内遊離体(いわゆる関節ねずみ)を除去する手術を行ったため、リハビリから始まった。それでも、始動日には「チームとしても、個人としても、昨季を上回ることが今季の目標」と話すなど、強い決意とともに自らにプレッシャーをかけてスタートしたが、結果としては思うようにいかないことが多かった1年となった。第2節・北海道コンサドーレ札幌戦 で早くもシーズン初ゴールを決め、第5節・湘南ベルマーレ戦 には途中出場で決勝点を決めるなど幸先は良かったが、その後はゴールから遠ざかり、目指していたロシアワールドカップの日本代表入りも叶わなかった。
 ワールドカップによる中断明け後もプレー自体は悪くなく、シュートも積極的に放ち、好機にも顔を出したが、ゴールが決まらない。本人も周囲ももどかしい気持ちを抱えていたなか、第22節・清水エスパルス戦 でリーグ戦11試合ぶりのゴールを決めると、第32節・川崎F戦 でも貴重な先制点をゲット。J1リーグ連覇を目前にした古巣相手に意地を見せた。
 シーズンを通して得点こそ5に留まったが、前線でのポストプレーから得点につなげる場面も少なくなく、敵陣での空中戦の回数と勝率はともに日本人選手ではトップクラスの数値を残している。苦しみ抜いた1年だったが、チームの助けになるべく奮闘を続けたことは確かだ。

ライターからひとこと

 アカデミー時代からその能力の高さは群を抜いており、子どもの中に大人が1人混じっているかのような存在感を発揮して、将来を嘱望されていた杉本健勇選手。トップチーム昇格後は、その豊かな才能を持て余し、なかなか芽が出ない日々を送っていましたが、2016年にJ1昇格の立役者になると、尹晶煥監督にセンターフォワードとして起用され続けた2017年、ついにその能力が開花しました。日本代表にも選出され、新たな領域に到達した17年を経て、より大きな希望を胸にスタートさせた18年でしたが、この1年間は彼に逆風が吹き続けたように思います。
 冒頭の手術だけではなく、FIFAワールドカップロシア大会の日本代表発表前に右足内転筋を痛め、森保ジャパンの船出となった合宿では右足薬指を剥離骨折。そのケガが完治せぬまま臨んだ第27節・湘南戦では右肩を脱臼と、度重なるケガが杉本選手を襲いました。
 そんな苦悩の色が目立った18年ですが、彼の良いところは、常に前向きで明るさを失わないところ。無得点の試合が続いても、報道陣を避けることなく受け入れ、時にシリアスに、時にユーモラスに、丁寧に言葉を紡ぎ続けました。その素顔は愛されキャラであり、そういった真摯な姿勢に魅せられたセレッソの番記者も多数…。当然、これからもチームの軸としてセレッソを引っ張っていく存在だと思っていました。杉本選手自身、「このクラブを離れることは想像していませんでした」と話しています。それでも、「今回の決断は自分自身の成長のために不可欠だと信じています」と強い覚悟で移籍を決めたのであれば、自らが信じた道を突き進んで行くのみ。19年、セレッソのユニフォームを着てプレーする杉本選手の姿が見られないことは今でも信じられませんが、セレッソ、杉本選手、それぞれにとって、この別れが良い方向に進むことを願っています。

文・小田尚史

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