しばらく更新していなかったこのコラム。セレッソ大阪公式ファンサイト「まいど!セレッソ~マイセレ~」のオープン1周年ということで(正確には1年と半月過ぎてしまったが)、書かせていただくことにしました。

 まずは1年間、サイトをご愛読いただき、見守り、そしてコメントをお寄せいただくなど、「マイセレ」に参加してくださった皆様に厚くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

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 このサイトのコンセプトは、
《セレッソ大阪と一緒に夢を見よう!》
ファン、サポーターの皆さんとクラブが、夢を共有できる場所を目指します
 である。

そしてオープン時に掲げた編集方針は、次の6つ。
○ファン、サポーターの皆さんの「知りたい」「見たい」に常に応えます。
○サッカーの面白さ、素晴らしさを真摯に伝えます。
○大阪らしい、楽しく、気安いノリを大切にします。
○クラブの歴史の重み、セレッソに関わってきた人たちの思い、絆を大切にします。
○クオリティ、ボリューム、スピード…オフィシャルの強みを最大限に発揮したコンテンツを提供します。
○ファン、サポーターの皆さんの参加型企画を豊富に盛り込みます。


 果たして、どれだけ実現できたのだろうか?あれもやりたい、これも載せなければ…と夢中で走ってきたが、あらためて見直すと…まだまだかな、とも思ってしまう。コンセプトには盛り込まなかったが、当時私の頭にあったのは、「どんなときも、セレッソのファン、サポーターの心に添った記事を」「もっとセレッソを好きになり、もっとサッカーを深く楽しんでもらえる最強のメディアにしたい」「サッカーをリスペクトすることを忘れない」といったことだった。それは、今も変わっていないし、これからも同じだ。

「マイセレ」の1年間には、いろいろなことがあった。トップチームだけでいうと、1年でのJ1復帰を目指したが、かなわなかった。勝てそうで引き分けたり、同点が敗戦に転じたり。選手が入れ替わり、監督が交代し、そしてシーズンの最後はJ1昇格プレーオフ。重く苦しい出来事が多かった。
 セレッソ全体では、決してそうではなかった。スタジアム改修のプロジェクト、アカデミー年代の「全階級制覇」(これは2年がかりだが)など、未来につながるニュースもたくさん紹介できた。

 J2での厳しいシーズンは続くが、何かが変わろうとしているのもまた確かだ。必ず夜は明ける。やがて春は来る。満開の時期に向けて、少しずつ歩き出したのが、今なのではないか。セレッソのあるべき姿、こうあってほしい、そうなったらどれだけ幸せだろう…と思えるところに向かって、もう一度前を向き歩き始めたような気がする。

J2第5節、金沢戦。セレッソ復帰後初めてのゴールを決めた杉本健勇選手と駆け寄ってうれしさを爆発させる柿谷曜一朗選手のシルエット。気持ちを一つに、目標に向かう姿は美しい。

 それを象徴する出来事は、今年いくつもある。森島寛晃がサッカーの現場に帰ってきた。「オフ・ザ・ピッチの肖像」のインタビューでも、アンバサダー時代のモリシとは違う言葉が、表情があった。現役時代の、ことサッカーには熱く、怖いぐらいの気迫を持って対峙する、あのモリシがいた。
 そして、柿谷曜一朗の帰還。2014年のシーズン途中、心を残しつつも一度はセレッソを去った「現在の8番」は、キャプテンとしてチームを引っ張っている。その頼もしいこと。2013年に初めて背番号8を着けて、全身で喜びを表していたときとはまた違う、シビアさと責任感に満ちた言動は、今年、何度もレポートできるはずだ。

 負のスパイラルから完全に抜け出し、ポジティブな機運が高まりつつあるのを感じる2016年。セレッソらしさ、セレッソにしかないもの、みんなが大好きなセレッソをこれからも「マイセレ」で紹介していきたい!そう決意を新たにした1周年。
 このコラムも、もう少し頻繁に更新したいと思います。引き続き、ご愛読よろしくお願いいたします。 

文・横井素子


◆横井素子 プロフィール
奈良県奈良市生まれ。広告代理店勤務のあと、フリーランスの編集・ライターとしてセレッソ大阪の広報ツールの制作などに携わる。
1999~2000、2008~2011年はセレッソ大阪トップチーム広報担当、現在はセレッソ大阪堺レディース広報担当、セレッソ大阪公式ファンサイト編集責任者を務める。