現役時代のニックネームは、ノボルもしくはノボ。人なつっこい笑顔と愛嬌のよさで人気の選手だった。小柄だがすばしっこく、アグレッシブさが特長だったアタッカーは、今セレッソ大阪サッカースクールでセカンドキャリアを築いている。

「引退してもセレッソに」との思いからスクールコーチに


 きっかけは、前回の今井誠次郎コーチのインタビューだった。
「スクールコーチを続けることにしたのは中山コーチの存在が大きかった」「一番憧れているコーチです」という言葉に、次回はぜひ本人に話を聞いてみたいと思ったのだ。
「そんなこと言ってたんですか? たぶん、いつもメシに連れて行ったりしているからでしょう(笑)。誠次郎と高野(湧暉)は育成の後輩ですから」
のっけから、さらりとかわされた。


 1987年生まれの28歳。セレッソ大阪サッカースクールからU-12、U-15、U-18とステップアップした。
「経歴は、(柿谷)曜一朗とまったく一緒。長い付き合いですよ。スクールの、今でいうエリートクラスみたいなところで一緒になったのが最初でした。2歳違いだけど経歴が同じなのは、曜一朗がすごかったから。そのころから別格でした。僕が高1でU-18の試合に出ているとき、曜一朗は中2の終わり頃でしたけどサブに入っていましたからね」

 トップチームに昇格したのは、2006年。同期には、香川真司、山下達也、柿谷曜一朗、森島康仁らがいた。最年少でプロ入りした柿谷、高校ナンバーワンストライカーの森島、さらに大学ナンバーワンストライカーの小松塁も加入し、話題に事欠かなかった。のちにセレッソのエースナンバーをつけることになる香川と柿谷が並んだ新体制発表会見が注目されることになる「花の2006年組」の1人である。
「同期で仲が良かったのは真司と山下でしたね。寮も一緒で、遊ぶのも一緒でした」


2006年の新体制発表会見。中山コーチは最後列左から3人目。
山下達也選手(№28)、香川真司選手(№29)、柿谷曜一朗選手(№30)らも初々しい姿で並んでいる。

 気の合う同年代の選手と過ごした毎日は、本当に楽しかったと振り返る。しかし一方で、プロ生活は度重なるケガとの闘いでもあった。
「手術は、結局7回しています。右足が6回と左足が1回。膝の前十字靭帯断裂です。現役時代の手術はそのうち5回。3年間のプロ生活のうち、1年以上はリハビリでした」

 プロ2年目(2007年)には、J2で7試合出場して1得点。翌2008年には、J2で3試合に出場した。


現役時代は、FWもしくはMFとして活躍。スピードで相手DFを翻弄し、ゴールを狙うプレーを身上とした

プロ初ゴール直後。酒本憲幸選手(左)と古橋達弥選手の祝福を受ける(2007年4月25日vsアビスパ福岡)

「2008年のシーズンが終わったあとの契約交渉の場で、『来年の契約はない』と梶野さん(智/当時の強化部長)から言われました。同時に『宮本さん(功/当時の普及部長)からスクールコーチのオファーが来ているけど、どうする?』と聞かれたんです。でも、そのときは引退することはまったく考えていなかった…まだ現役を続けたかったから、トライアウトに行くつもりでした。ただ、J1かJ2のクラブから話がなかったら引退しようとは思っていました」

 が、結局トライアウトには参加しなかった。年明けすぐに、膝の手術を控えていたからだ。
「実績もない選手が、いきなり手術するとわかっていて取ってくれるクラブなんてないよな、と思った。だから引退を決めました」

 奇しくも、エースとして君臨した森島寛晃(現アンバサダー)と同じタイミングでの引退になった。森島は、引退のリリースと同時に、スクールコーチ就任が発表された。当時のコメントは、
《現役を引退し、これからはスクールコーチとしてお世話になります。ずっとやりたかった仕事ですし、子どもが大好きなので楽しみにしています。》
というものだった。
「ケガのことがなかったら、現役を続けていた。きっと今もどこかでプレーしていたと思います。スクールコーチという道を選んだのは、セレッソに残れるから。誘ってもらったし、セレッソにずっといられるならって。居心地がいいし、9歳でスクールに入って、ずっといるから。選手を辞めて、またスクールに戻ったんです(笑)。知っている人ばかりだし、みんな仲がいいじゃないですか、セレッソって。森島さんもいるし。僕らの年代は、もう森島さんが絶対的な存在。シンボルです。その森島さんと引退の時期が一緒で『同期』っていうのは、だいぶ失礼なハナシですけど(笑)」

 2008年10月、森島の引退宣言を聞いた数カ月後に決めた、自らの引退とセカンドキャリアの道。待っていたのは、思った以上に厳しい世界だった。

2nd HALFへつづく

文・構成 横井素子



【なかやま のぼる】
1987年7月7日生まれ、大阪府出身
9歳でセレッソ大阪サッカースクールに入り、セレッソ大阪U-12からU-15、U-18を経て、2006年にトップチームへ。出場記録は J2リーグ戦10試合出場(1得点)。
2008年シーズンで現役を引退して、セレッソ大阪サッカースクールコーチに転身。今年はりんくう校を主に担当。2014年からは興国高校サッカー部のコーチも務めている。
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