オールドファンには、「ああ、昔はDFやっていたあの選手ね」と、懐かしく思う人も多いだろう。今シーズンからトップチームでヘッドコーチを務める村田一弘は、セレッソ大阪と大分トリニータでプレー。指導者としてもこの2クラブでキャリアを重ねてきた。

セレッソが、というより
結局は「人」なんです

第4回 2nd HALF 

 どうしても現場で仕事がしたいという思いから、選手時代を含めて12年間在籍した大分を離れ、村田はセレッソに帰って来た。2010年から昨季まで5年間、U-18を指導し、多くの選手をトップチームに送り出している。
「成果は他人が判断することなので自分では言えませんが、すごくやりやすい雰囲気がありました。監督の大熊さんも知っている方で、強化のトップである宮本も知っている。サッカーも考え方も、そんなに変わらない。ただ、僕の考えよりさらに上だなというところがあって、徹底したトレーニング、選手たちへのすり込み、そういうものを全部ひっくるめて、すごいなぁ、勉強になるなぁと思わされることも多かった。でも、自分も間違ってはいなかった、外してはいなかった、これをもっとやればいい、質と量を上げていけばいいんだなとも思いました。ほかの指導のやり方も教わったし、自分のやり方をやらせてもらって修正してもらったり、いいんじゃないと言ってもらったり…勉強をさせてもらったと思います。自由に、のびのびやらしてもらいました。厚かましいぐらいに(笑)」

若い選手には厳しく接するという村田。
「ダメならクビになる場所なんだと知ってほしい」。
プロサッカー選手としての経験を踏まえたアドバイスを送っている

 昨シーズンは、激動のシーズンになった。トップチームの成績が低迷し、シーズン中に2度の監督交代が行われ、2度目の交代で大熊がトップチームの指揮を執ることになったのだ。それに伴い、村田もトップチームのヘッドコーチに就くことになった。U-18の指導も引き続いて行う、いわば掛け持ち状態。だが懸命の立て直しも及ばず、チームはJ2に降格。そのあと、U-18が高円宮杯U-18サッカーリーグ2014 チャンピオンシップで初優勝するといううれしい出来事もあった。
「優勝できたのはよかったですが、手放しでは喜べなかったです。もうちょっとトップチームを手伝えたらよかったなと思いましたからね。育成はU-18だけじゃなく、U-15も2チーム(セレッソ大阪U-15、セレッソ大阪西U-15)が高円宮杯(第26回全日本ユースU-15サッカー選手権大会)に出たし、U-12もタイトル(全日本少年サッカー大会優勝)を取った。大熊さんが発信してやろうとしたことが、少しずつ結果として見えてきたというか、広がってきたという感じがしました。
 今年はU-15が3チームともクラブユース選手権に出て、ガールズもレディースも優勝した。うれしいですね。育成というのは、すぐに結果は出ない、出るのは何年か後です。結果だけ出そうとしたら、すぐに出たと思うんです。勝つという結果だけなら…。でも、そこに執着しなかったですね、大熊さんも、宮本も。(目指すところがあって)そこを作り続けることを変えなかった」

 今シーズンは育成を離れ、トップチームのヘッドコーチとして仕事をしている。新任のパウロ・アウトゥオリ監督をサポートするという簡単ではない仕事に、懸命に取り組んでいる。
「監督の考えを理解するために、ちょっとしたニュアンスも知りたかったから、キャンプからずっと監督のそばにいました。言葉の壁はあるけれど、ガンジー(白沢敬典 通訳)に『監督がなにを言っているのか、全部教えてくれ』と頼んで、協力してもらって。U-18のときは、指導する楽しみというのがありましたけど、今はひとつ引いたような形でサポートをしながら、勉強させてもらっています。いい役職に就かせてもらっています。ほかにもっといい指導者はいっぱいいるんでしょうけど、チームが自分を育ててくれている、そういうのは伝わりますね」

19歳で一度は止めたサッカー。
こんなに長く携わることができたのも、周りの人たちのおかげだと感謝している。
「いつも人に助けてもらってやってきました。自分はラッキーでした」

 最後に、セレッソへの思いを聞いてみた。
「複雑ですね。自分が(選手として)アウトになった場所だし、そのときの状況はいいものではなかったですから。でも、宮本や大熊さん、今のアウトゥオリ監督も玉田稔社長もそうですが、選手を育てる場所を作ってもらったり、教わったり、選手時代にお世話になったりした人たちに対して、感謝する気持ち、お返ししないといけないという思いがあります。結局“人”なんですよね。セレッソのためにというより、そういう人たちのためにやろうという気持ちです」

文・構成 横井素子



【むらた かずひろ】
1969年5月12日生まれ、長崎県出身
国見高校、中央大学、三菱重工長崎を経て、1993年にセレッソ大阪の前身・ヤンマーに加入、Jリーグ昇格に尽力した。1998年に大分トリニティ(現トリニータ)に移籍。
J1リーグ61試合出場、J2リーグ44試合出場1得点。2001年から大分U-18を指導、2010年にセレッソへ復帰し、U-18ヘッドコーチに就任。今シーズンから、トップチームのヘッドコーチを務めている。
セレッソ大阪 スタッフ紹介