2015年、セレッソ大阪に帰ってきた白谷建人。20代半ばの若さでの現役引退には、思いがけない理由があった。サッカースクールでコーチとして働き始めた彼が、セレッソへの思い、サッカーへの思いを語る。


いつの間にか、
サッカーが楽しくなくなった


 中山昇コーチのインタビュー をした時に、新人コーチ時代の苦労話を聞いた。「今年入ったばかりの(白谷)建人は、すごく大変な思いをしているはずですよ」という言葉から、今回のインタビューは、スクールコーチとしての大変さを聞くことになるだろうなと予想していた。しかし…。
「コーチになってからの1年間、帰ってきてよかったな、とずっと思い続けていました。セレッソでよかった、セレッソに帰ってこられて本当によかった。そう思います。仕事はメチャメチャ大変です。何かを覚えることも初めての経験だし。でも、楽しいです。サッカーがまた楽しいと思えるようになりました」

セレッソでのプロ1年目、抜擢を受けてJリーグデビューを果たした白谷。将来を嘱望される存在だった(写真は2008年J2リーグ第8節vs熊本@長居)

 サッカーを始めた幼稚園時代、小学生、中学生のときまで、好きで仕方がなかったサッカーが、いつしか楽しくなくなっていたという。言われなくても練習場に誰より早く行き、人よりたくさんボールを蹴って、どんなにきつい練習も当たり前だと信じて取り組んでいたのに、高校時代には全く変わってしまったのだという。
「サッカーは好き過ぎるぐらい好きで、監督やコーチから言われなくても、夢中でボールを蹴っていました。でも、高校ではサッカーを楽しめなくなったんです。そう感じている自分がだんだん嫌になった。あんなに好きだったのに、学校が終わったら練習場に一番に行っていた、そんな自分が大好きだったのに…。高校では練習場に最後に行くようになってしまったんです」

 高校1年で名門・国見高校のトップチームに入ったが、楽しくなかった。レギュラーになった時点で、プロ選手になれる確信はあったと言うが、
「頑張りたいという気持ちが出てこなかったんです。逆に、もう辞めてもいいかなとさえ思うようになりました。でも、プロになることを期待してくれている親に悪いという思いもあって、もう一度スイッチ入れて、頑張りました」

 2008年、高校を卒業してセレッソ大阪に加入した。
「チームには、(香川)真司くんや、乾(貴士)くん、(柿谷)曜一朗がいました。みんなサッカーが好きで、いわゆる『サッカー馬鹿』。その姿を見て、うらやましいというか、『ああ、自分の中学時代と同じだな』と感じました。でも、自分はそんな気持ちに戻れませんでした。トレーニングするときは楽しかったんですけど、自分の本質の部分にさぼり癖があって、消せなかった。すべては自分のせいです」

 それでも、プロ1年目は当時のレヴィー・クルピ監督に抜擢され、11試合に出場した。
「点は取れなかったけれど、動きとかシュートにもっていくプレーとかは、自分では『全然通用するな』と思っていました。ちょっと天狗になるところもあって、勘違いして、もう一歩頑張れないところがあったな、と思います、今振り返ったら。サッカーが一番ではなかったです。同年代の真司くんや乾くんたちが先発で出ているじゃないですか。それがもう悔しくて、おもしろくなかった。自分も出たいのに、自信もあったのに…裏への動き出しやスピードとか2人とは違うところで、ゴールに向かうところはできると信じていましたから。悔しいけれどぶつけどころがなくて、同じように試合に出られない選手たちと遊びに行って、はじけちゃったりしました」

スピード、テクニック、運動量…すべてにおいて高い能力があり、それを自負していたルーキー時代(写真は2008年J2リーグ第10節vs愛媛@ニンスタ)

 厳しい規律のもと過ごしていた高校時代とは違い、すべて自分の判断で決められるプロとしての生活。その第一歩のところで、白谷は大きな勘違いをしてしまったのだ。
「2年目(2009年)は、さらにその気持ちが強くなりました。(同期の黒木)聖仁が試合に出始めたんです。聖仁が活躍して、点も取った。それが決め手でした。僕ももう2年目で、試合に出たい。でも、前線には、真司くん、乾くんに曜一朗も外国籍選手もいました。自分は出られない。『もうチームから出してほしい、お願いします』と言いました」

 2010年2月、水戸に期限付き移籍。同年6月に岡山へ移り、2011年に完全移籍してプレー。2012~2013年は熊本へ、そして2014年にはJ3の町田に移籍した。
「セレッソを出てから、いろいろありました。といっても、自分が悪いんですけど。僕の根っこの、気持ちの部分なんです、すべては。本当の意味でサッカーに向き合えていなかった。今思うと、もっと取り組むことができていたはず。そうしたら、結果は絶対に違っていただろうなとずっと思っています。後悔は…ものすごくあります」

2nd HALFへつづく

文・構成 横井素子



【しらたに けんと】
1989年6月10日生まれ、京都府出身
長崎県・国見高校から2008年にセレッソ大阪入り。スピード、テクニック、運動量を兼ね備えたFWとして期待された。2010年2月に水戸へ、同年6月には岡山へ移籍。2012年に熊本、2013年8月に町田に移り、2014シーズンを最後に、現役を引退した。J2通算61試合出場7得点、J3通算1試合出場0得点。
2015年、サッカースクールコーチとしてセレッソ大阪に復帰した。
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