新しいシーズンは、鹿島のトップチームコーチに就任することが決まった羽田憲司。セレッソサポーターには驚きのニュースだったが、そこには将来を見据えた熱い決意があった。指導者としての3年間で得たもの、感じたこと、そしてセレッソへの思いを聞いた。
第7回 特別編 1st HALF 

いつか、セレッソの監督になりたい。
オファーがもらえるように頑張ります


「申し訳ない」という気持ちを抱きながらも、今回の決断をした理由について、羽田はこう話す。
「鹿島のトップチームのコーチになるのは、かなり狭き門です。このタイミングでしかない話だと思いました。鹿島という伝統ある、あれだけの優勝回数のあるクラブの中に入って、コーチとしてチームを見られる。こんなすばらしい環境とはないと思います、自分の将来のためを考えると。自分にとって大きな財産になる、そう思ったから決断しました。正直、まだ指導者としては早いなと自分では思いますけど、このチャンスを逃しちゃいけない。今までの流れを見ても、OB、しかも鹿島で結果を残した人たちが入るポジションです。そんなに鹿島で試合に出ていない自分が呼んでもらえるというのは、すごい話です」

 彼の描く「将来」とは、どんなものなのか。
「監督です。監督を目指しています。パウロ(・アウトゥオリ前監督)も、(大熊)清さんもそうだけど、近くで見ていてトップの監督はやっぱり違うな、しびれるなと思いました。自分で決断して、責任もって仕事をする。自分も監督をしたいと思います。そのためには、これからいろいろな経験を積んでいかないといけない。僕は、将来セレッソで監督がしたいんです。今からいろいろ吸収して、勉強して、経験して、いつかオファーがもらえるようになりたい。そのために頑張るつもりです」

 どうしてセレッソで、なのか…?
「やっぱり、自分はセレッソが好きだから。選手としてチームをJ1に上げたり(2009年)、ACL(AFCチャンピオンズリーグの出場権)を取ったり(2010年)、キャプテンとして、選手としてやれた、自分が何かを残すことができたチームがセレッソ。だから、思い入れがあります」

思い入れのあるセレッソでの監督就任を目指す

 そして、2015シーズンに指導した若い選手たちには、こんなメッセージも。
「もの足りないですね。ぎらぎらした感じが足りないかな。ほかのクラブの人に聞いても、昔みたいにぎらぎらした選手は少なくなっていると聞くから、時代なのかもしれないですけど。レギュラー選手をけずってでもポジションを奪ってやろう、という選手は少ない。そういう気持ちの部分は、言い続けないといけないのかもしれないでね。1年いっしょにやった若い選手たちには、頑張ってほしいです。U-23ができるので、そこが活動の中心になっていくと思いますけど、彼らが頑張らないと、このチームはダメになると思いますね、はっきり言って。南野拓実に続く選手が出てきてくれないと、ね。拓実のような選手が身近にいるのだから、他の選手には感じてほしいです」

 最後に、あらためてセレッソのサポーターの皆さんへのメッセージを…。
「選手として4年、指導者として3年、7年間お世話になりました。自分の将来のことを考えたときに、日本で一番たくさん優勝しているチームの中に指導者として入って、勉強したい、戦いたいという想いが強くて、非常に難しい決断でしたけど、させてもらいました。僕が鹿島のトップチームに呼ばれるのは、このタイミングしかなかったと思います。行っておけばよかったと後悔するよりは、チャレンジすることを選ばせていただきました。セレッソは本当に思い入れがあって大好きなチームなので、鹿島で経験を積んで、またセレッソから声がかかるような指導者になりたいなと思っています。J1に上げられなくて、申し訳なかったです。本当にありがとうございました」


文・構成 横井素子



【はねだ けんじ】
1981年12月1日生まれ、千葉県出身
2007年から2010年までは選手として、2013年からは指導者としてセレッソ大阪に在籍。
選手時代は、優れた守備能力と冷静な判断でディフェンスの中心として活躍した。2009年、2010年はキャプテンとしてチームを引っ張った。現役引退後の2013年はセレッソ大阪サッカースクールのコーチとして復帰。2014年はU-18のコーチ、2015年はトップチームのコーチを歴任した。2016年、鹿島のトップチームコーチに就任。