2008年の現役引退から8年。セレッソ大阪アンバサダー、ハナサカクラブ会長、そしてセレッソ大阪サッカースクールエリートクラスダイレクター(2012年~)を務めてきた森島寛晃。
オフ・ザ・ピッチの活躍については、ここで振り返る必要もないほどだが、あらためてこの7年間の仕事について、そして今年から就いた新しいポジションのこと、さらに今後どうクラブに関わっていこうと考えているのか、を聞いた。

長いようで短い7年間。
自分にとって大きな財産に


選手、アンバサダー時代の「モリシ」には何度も話を聞いたが、今回は新しい仕事に就いてから初めてのインタビュー。まずは、アンバサダーとしての仕事の振り返り、スパイクを脱ぎ、ユニフォームをスーツに着替えた7年間の日々の話から。
アンバサダー時代のモリシの様子
「選手を引退してから、『セレッソの森島』として、イベントやメディア、いろいろなものに参加、出演させてもらう中で、たくさんの出会いをさせてもらいました。選手時代は、ピッチでプレーすることでセレッソの魅力を伝えていくのが仕事だったわけですが、アンバサダーになってからは、ピッチ以外のたくさんの場所に行かせてもらいました。この間、セレッソの選手たちがいろいろな形で活躍していましたから、私自身も広報活動を行うために、いろいろなところへ非常に行きやすかったです。クラブを外から盛り上げるという形でしたが、その中で、『モリシアカデミー』(スクール各校を訪問し、子どもたちにサッカーを教える企画)を支援してくださる多くのスポンサーの皆さんとの出会いもあり、本当に感謝しています。今後は、シーズン中はモリシアカデミーとしての活動は難しいと思いますが、シーズンオフなどに活動は続けていく予定です」

 サッカーに直接関わる仕事も多かったが、一見サッカーとは無縁に見える場所での仕事もまた多かった。
「まったく違う世界も経験させてもらいました。でも基本的には、ずっとやってきたサッカーをベースに、セレッソというものを発信してきたつもりです。関西の聖地・NGK(なんばグランド花月)の舞台にも立たせてもらいましたし、『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)も、『せやねん!』(毎日放送)も関西では誰もが見ている聖地のような番組です。ラジオでは『かめ友』(毎日放送/かめ友 Sports Man day)に引退後すぐにお話をいただいて、ずっと出演させていただきました。番組では、亀山(つとむ)さんにいろいろな指導を受けながら、勉強させてもらいました。選手時代にはできなかった経験を本当にいろいろさせてもらいましたね。
 輪が広がったのは、『アスリートネットワーク』の理事をさせてもらったこともそうでした。選手時代にはなかなかできなかった、他競技の選手、関係者の皆さんと交流することができました。オリンピックのメダリストの皆さんとも交流させていただき、勉強させてもらいました」

 そして、2010年、2014年にはワールドカップも経験した。1998年のフランス大会、2002年の日韓大会ではプレーヤーとして活躍した森島にとって、取材し、伝える側としての大会は、新鮮かつ貴重な経験だったと振り返る。
「プレーヤー以外でもワールドカップを経験させてもらったことは、思い出深いです。2010年の南アフリカ大会のときは東京のNHKのスタジオで、2014年のブラジル大会のときは1カ月ぐらい現地に行かせていただきました。ワールドカップでプレーする良さ、引退してからは周りからワールドカップを伝えるという役割をさせてもらい、サッカーの盛り上がりや魅力をさらに強く感じることができました。ワールドカップは、ぜひまた現地に行きたいですね」

 そのアンバサダーとしての仕事は、昨年でひと区切りをつけた。強化に携わることになり、「チームについて語る」ことが難しくなったためだ。アンバサダーと同時に就任した、ハナサカクラブの初代会長も同様である。今やセレッソ大阪の代名詞ともいえる育成型クラブを支える組織・ハナサカクラブについて、森島はこう語る。
「ハナサカクラブでは、年2回(中間報告会と総会)あいさつをしていただけのような気もしますが…(笑)。サポーターの皆さんが会費を出して支えてくださり、アカデミーの子どもたちに経験の場を与えることができるというすばらしい組織だと思います。実際に海外遠征などを経験した選手たちが、次のステージであるU-18やトップチームに上がり、どんどん成長できている。早い時期に海外に行った経験が生かされていると感じることは多いです。そして、選手だけでなく、コーチたちの成長にもつながっているのがハナサカクラブなのかな、と会長を務める中で感じました。ハナサカクラブの総会には、毎回熱いサポーターの方が参加してくださっていますが、その輪はどんどん大きくなっていますね」

 そして、もうひとつの仕事が、2012年から就任したセレッソ大阪サッカースクールの「エリートクラスダイレクター」(2012年は「監督」、2013年は「総監督」の名称)であった。スクールの中でも、セレッソ大阪のアカデミーや、将来は世界で活躍できる選手を視野に入れた活動を行う「エリートクラス」
 森島にとっては、「選手を見る」という点で、よりサッカーの現場に近い仕事になった。
「いろいろなチームに所属している子どもたちが、セレッソのエンブレムをつけて、集まって活動することでいい刺激を得る。その中でセレッソの魅力を伝え、プロ選手を目指すという気持ちを持たせる。それがエリートクラスの位置づけです。立ち上げ(2012年)から4年が経って、今年初めてU-18に第1期生が2人、入りました。セレッソのアカデミーに上がれなくて、別のチームに行った選手もいますが、そういう選手といろいろな試合で会って、活躍しているのを見るのはすごく楽しみでしたし、うれしいことでした。一度はセレッソを離れても、高校、大学を経てまたセレッソでプレーするということも、今後もっともっと出てくると思います。
1年目は3校(南津守、大阪西、岸和田)でスタートして、当初は全校に指導に行きました。今は、奈良や滋賀、和歌山にもできて、かなり拡大しました。いい刺激を受けながら、トレーニングする子どもたちに関われる、そういう仕事に携われたことはよかったですし、本当に貴重でした。現場にはそれぞれコーチがいて、全員が『子どもたちを次のステージに!』という思いをすごく持って接していました。そういう様子を近くで見られたというのは、大きかったです」

 セレッソ大阪の「顔」として一心に走り続けた時間を、森島はこう振り返る。
「これだけいろいろなところに繋がりを持たせてもらったことは、選手時代にはできなかった経験です。そういう出会いは貴重ですね。7年間は長いようで短く感じます。今後の自分にとって大きな財産になります」

2nd HALFへつづく

文・構成 横井素子



【もりしまひろあき】
1972年4月30日生まれ、広島県出身
1991年、ヤンマーサッカー部に入部、1994年~2008年セレッソ大阪でプレー。
小柄ながら縦横無尽にピッチを駆け、多くのチャンスに絡み、貴重なゴールをあげ続けた「ミスター・セレッソ」。 日本代表でもその活躍は顕著で、神出鬼没な、特にオフ・ザ・ボールの動きでチームに大きく貢献した。1998年、2002年のワールドカップ日本代表メンバー。
2008年、惜しまれながら現役を引退。 2009年からは、セレッソ大阪アンバサダー、ハナサカクラブ会長、2012年からはセレッソ大阪サッカースクールエリートクラスダイレクターとしても献身的に働いた。今シーズンからは、トップチームの強化を担うチーム統括部フットボールオペレーショングループに所属。