2008年の現役引退から8年。セレッソ大阪アンバサダー、ハナサカクラブ会長、そしてセレッソ大阪サッカースクールエリートクラスダイレクター(2012年~)を務めてきた森島寛晃。
オフ・ザ・ピッチの活躍については、ここで振り返る必要もないほどだが、あらためてこの7年間の仕事について、そして今年から就いた新しいポジションのこと、さらに今後どうクラブに関わっていこうと考えているのか、を聞いた。
第8回 1st HALF


全国区になったセレッソ、
「方向性」の大切さを痛感

J2開幕戦前日、アウェイに出発する選手バスを見送る

 アンバサダーとして飛び回っていた間、チームにはいろいろな出来事があった。引退の翌年の2009年にはJ2を戦い抜き、J1昇格を果たした。チームの中心には、森島が背番号8を託した香川真司、その相棒である乾貴士がいた。2007年からの3シーズン、J2での長く苦しい時期を経て、ようやく明るい未来が見え始めていた頃だ。2012年には清武弘嗣へと背番号8は受け継がれ、2013年には柿谷曜一朗へと継承された。
「8番がどうというだけではなくて、セレッソを全国区にしてくれたのは(香川)真司であり、キヨ(清武)、そして(柿谷)曜一朗や乾(貴士)、(南野)拓実たちです。そういう選手たちがどんどん続いて出てきて、セレッソの魅力というものを築き上げてくれました。8番をたまたま自分の次に着けた真司がヨーロッパで活躍して、続いてキヨも活躍してくれた。その前に8番を着けていた自分が乗っかっちゃってる感はありますね(笑)。でも、チームも、サポーターも背番号8というものを大事にしてくれたことで、取り上げてもらったと思います。僕自身は本当に、8番に乗っかっちゃってよかったなと思っています(笑)。
 曜一朗については、まず高校生でプロに入ってきたというところで驚きでした。当時は僕も現役でしたからね。自分の半分ぐらいの年齢の選手が入ってきたということで、まずすごいなと。スクールからセレッソでやっていて、段階を経てプロになって、あれだけセレッソへの熱い思いを語れる男というのは他にはいない。もう自分たちじゃないな、と思いますね。誰よりもセレッソ愛を持った男です、曜一朗は。真司、キヨと続いて、8番を着けた曜一朗があれだけの思いを語る、そういう選手がいるというのが、セレッソにとってすごいこと、うれしいことです。
 8番を着けた選手だけでなくて、乾もそう。海外に行ってあれだけ活躍していても、セレッソの調子がよくないとなると、『戻ってきてセレッソでプレーしたい、俺が何とかしたい』と、冗談ではなくて本気で言ってくれた。そういう思いを持ってくれていることがうれしいですよね。真司にしても、日本に帰ってきたら、舞洲に戻ってきて練習をする。ここが帰るべきところ、と思ってくれている。なによりも大きなセレッソの財産です。それはセレッソが作ったというよりも、選手たちが思いを持っているからこそできたこと。すごく大きいと思います。
 今後、トップチームも優勝して、彼らに『またこのチームでプレーしたい』と思ってもらえるような、魅力のあるチームになる必要がある。それがあるべき姿だと思います」

 しかし、チームにとって順風満帆の時期が続いたわけではなかった。森島は、少し顔をしかめつつ、「今の立場になって、そのあたりを語るのは難しくなりましたが、あくまでアンバサダーだった自分の立場から見て感じたこととして」と前置きをして話し始めた。
「自分が引退してアンバサダーとして活動するなか、セレッソ大阪というチームの土台が作られ始めたというか、セレッソの色というものを出していっていました。ヨーロッパに行く選手もいましたけど、それに続く選手もどんどん出てきて、『ああ、これから優勝、タイトルに向けてチームが動き出したなぁ』と引退した直後は感じました。だから、自分もアンバサダーとして盛り上げていこうという思いで、チームの外から見ていました。
 ただ、何年か経ったなかで、少し歯車が狂ったなというのは見ていて思いましたし、あらためてチームの土台というか、向かっていくべきところ、方向性というものは大事だな、しっかりとしたものがないといけないんだな、と感じました。それがないと、積み重ねてきてよくなってきたものも一気にね…苦しいことをまた経験しないといけないというふうになってしまいます。方向性というものは、非常に大事だな、これは、僕だけではなくて、すべてのチーム関係者が感じていると思いますが…。選手たちは、1年1年を目一杯やって、その中で結果を出していかないといけない。チームがどう戦うのかという方向性は、しっかりクラブが出していかないといけないです。選手たちはすごく悔しい思いをしたのかな、と感じました。
 これは、アンバサダーとして見て感じた部分ではありますが、自分が現役でプレーしたときのことも考えると、選手が集中してプレーできる環境というのは大事です。いくら選手たちが一丸、一丸と言っても、選手たちだけのものではないです。チーム、クラブすべてが、勝つために同じ思い、方向性を持ってやっていくというのは、大切なことだなと思います」

ADDITIONAL TIMEへつづく

文・構成 横井素子



【もりしまひろあき】
1972年4月30日生まれ、広島県出身
1991年、ヤンマーサッカー部に入部、1994年~2008年セレッソ大阪でプレー。
小柄ながら縦横無尽にピッチを駆け、多くのチャンスに絡み、貴重なゴールをあげ続けた「ミスター・セレッソ」。 日本代表でもその活躍は顕著で、神出鬼没な、特にオフ・ザ・ボールの動きでチームに大きく貢献した。1998年、2002年のワールドカップ日本代表メンバー。
2008年、惜しまれながら現役を引退。 2009年からは、セレッソ大阪アンバサダー、ハナサカクラブ会長、2012年からはセレッソ大阪サッカースクールエリートクラスダイレクターとしても献身的に働いた。今シーズンからは、トップチームの強化を担うチーム統括部フットボールオペレーショングループに所属。