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【第2回】セレッソ大阪レディースU-15として出発

 雪の味スタ西の試合から遡ること8年ーー2010年4月、セレッソ大阪にレディースチームが誕生した。「大阪、そして関西の女子サッカー選手の活動の場となり、関西女子サッカーの振興を図りたい」という思いが込められての創設であった。チーム名はセレッソ大阪レディースU-15、関西のJクラブとしては初のレディースチームだった。セレクションにより選ばれた中学1年生16人でトレーニングをスタートさせ、初年度の主戦場は関西女子サッカーリーグ2部リーグ。1期生の1人、松原志歩は当時をこう振り返る。
「小学生までは、男子と一緒のチーム(ErbaFC)でサッカーをしていました。でも、中学生になるとチームを探さないといけなくなって…。セレッソのレディースができてくれたおかげで、サッカーをつづけることができた部分があります。それは感謝です。できていなかったら?やめたくはなかったので、ほかのクラブチームで続けようかと考えていました。でも、自宅からは交通の便が悪くて、どうしよう…と悩んでいるところにセレッソのレディースができる、と聞いて。迷いもなく受けよう!行きたい、絶対行きたいと思いました」

 2005年からサッカースクールで女子のコースを運営していたとはいえ、女子チームとしての実績はゼロ。どんなところで、どんな指導者がいて、どんなトレーニングをするのかはまったくの未知数だった。それでも松原はセレッソ入りを熱望した。
「セレッソという名前に惹かれて、というのはありました。自分は行く、と決めていました。セレクションは絶対に受かる、受かる自信はありました(笑)。メッチャ緊張はしましたけど…津守のグラウンドであったセレクションにはお父さんがついてきてくれて、『自分のプレーがよかったら合図してな』とか言っていました(笑)」
2010年、セレッソ大阪レディースU-15の1期生16選手。
全員中学1年生、ここからセレッソのレディースは始まった。

【その後】
 1期生の集合写真を見ると、みんな本当にあどけない…しみじみ感慨深いです。2010年から3年間、チームを指導したのは中村貴史監督と末谷由加理コーチでした。2019年現在も在籍している選手は古澤留衣と玉櫻ことのの2選手。本文中でインタビューした松原志歩は、今年アルビレックス新潟レディースに期限付き移籍しました。

文・橫井素子