「桜なでしこ物語」についてはこちら  をご覧ください。
--------

第3回 1期生・松原志歩「今とは全然違いました」

  チーム発足当時レディース専用の練習場はなく、初年度(2010年)はJ-GREEN堺やキンチョウスタジアムの室内練習場などでトレーニングを行った。1期生の松原志歩はこう振り返る。

「選手は、堺と梅田の2カ所でそれぞれ集合して、バスに乗ってJ-GREEN堺に集まっていました。私は本当は堺組でしたけど、堺組は30分遅く着いて、30分遅れて練習が終わるんです。梅田組は先に着いて、体幹トレーニングとかをやって、堺組が着いたら一緒に練習。みんなで練習するのは1時間半ぐらいで、終わったら堺組が体幹をする、みたいな感じでした。でも、私は遅れていくのがいやで、梅田組のバスで着くようにしていました。火曜日と金曜日はそんな感じで、水曜日はキンチョウスタジアムの室内練習場。長居公園でランニングすることもありました。今とは全然違いました。日によって練習場所が違うし、ロッカーもみんなが使うものだから、気を遣いました。いつも貴重品を集めて練習していました。あの時のことを思い出すと、今の環境の良さがあらためてわかります」

 2年目と3年目も同じような環境での活動が続いた。その間、チームは少しずつ力をつけ、2011年シーズンは全日本女子ユース(U-15)サッカー選手権大会で3位の成績をおさめ、2012年シーズンは関西女子サッカーリーグ1部リーグで3位となった。
 
1期生・松原志歩。常にチームの先頭に立ち、文字通り道を切り拓いてきた。

【その後】
 このインタビューの半年後(2018年のシーズン終了後)、松原志歩は移籍を決意しました。セレッソが大好きで、柿谷曜一朗選手にあこがれていた志歩にとって、大きな決断だったと思います。移籍リリース の長文のコメントにも、それがにじんでいました。

文・橫井素子