それほどひどいケガとは
思わなかった

 8月29日の天皇杯1回戦、FC大阪戦。相手選手とのコンタクトプレーで左腎損傷という重傷を負った。
 入院加療、自宅療養を経て、舞洲に帰って来た永井に、負傷のこと、復帰を目指す現在の心境を聞いた。


■今の体調はどうですか?少しやせたようにも見えますが。
「退院してからしばらく、全然食べられなくて…うどんすら、のどを通っていかないときがあったので、少しやせたかもしれないですね。
 今日(インタビュー日:11月5日)からジョギングを始めました。本当は2週間後ぐらいからの予定でしたが、検査の結果がよくなっていたので、ジョギングを始めようということになりました。久しぶりに走ると、やっぱり少しきつかったです」

天皇杯1回戦(FC大阪戦)でのケガでした。試合中のどんな状況での負傷でしたか?
「69分ごろのプレー、点を取る前ですね。映像を見たら『これでケガしたの?』と思われるぐらいの、サッカーでは普通の接触なんですけど、向こうもガツガツ来ていたので、自分も負けられへんという気持ちで、受け止めるというよりガツガツ行ったんです。相手が下から来て、左の脇腹に入った感じがありました。メッチャ痛くて、その時は『肋骨が折れたかも』と思ったんですが、高校3年で(肋骨を)折った時もプレーできた。スコアも0-2やし『ここで退場したらアカン、とりあえず最後までやろう』と思って続けたんです」

負傷した天皇杯1回戦 FC大阪戦

■そのあと74分に永井選手のゴールが生まれたわけですが、試合後は?
「試合後、痛いですとトレーナーの大久保(英毅)さんに言いに行ったら、『顔が真っ白やし、唇が真っ青やで』と言われたんです。僕自身は、その時はアドレナリンが出ていたのか自覚がなかったんです…。いったんは翌日に病院に行こうということになったんですが、大久保さんが『やっぱりちょっと怖いから、今日中にCTを取りに行こう。そのほうが今日安心して寝られるやろ?』と言ってくれて、病院に行ってCTを取ったら即入院になりました。腎臓からたくさん出血していたんです(左腎損傷の診断)。病院のICU(集中治療室)に入って、検査を続けて様子を見ながら出血を止める治療を受けました。3週間入院しました」

■大変なケガだったんですね。当日のうちに病院に行っていてよかったですね。
「もし行っていなかった、もっと大変なことになっていたと思います。病院に着いたら、ものすごく痛くなって…。あのまま家に帰っていたら、違う状況になっていたと思います。(トレーナーの大久保さんは)命の恩人ですね。自分では、大丈夫だと思っていたから」

■ケガをした試合は、久しぶりの先発出場でした。
「今季初でした。リーグ戦では、それまで1試合にベンチ入り(第2節)しただけで、そのあと大分に行きました。大分から帰ってきて、リーグ戦で1試合に途中出場(第27節・8/1・愛媛戦に1分の出場)しただけで、そのあとの天皇杯でした」

■タイミングとしては、フォルラン選手が退団してエジミウソン選手が入って、FWのポジション争いが始まるという矢先でした。
「そうです。FC大阪には負けましたけど、試合が終わって病院に行く前は『次はJリーグで、スタメンで出られるかもしれない。点を決めたのは自分やし、次はもしかしたらいけるかも…』と思っていたので、悔しかったです」

■今季途中で、大分への期限付き移籍を決めたのはなぜですか?
「昨シーズンの終盤は試合に出られるようになって、ずっと取れなかった点も取れて、自分なりにやっとスタートラインに立てて、いけるかもという手応えが感じられるようになっていたんです。昨シーズンはJ2に落としてしまったので、自分の手でJ1に復帰させたいという思いで今シーズンに入りました。でも、シーズンが始まって、今は試合に出るのは難しいかもというのがわかって、必要としてくれるチームがあるなら行こうと思いました。それが逆に、セレッソのためになるかもしれない。帰ってきてセレッソのためにやればいい、と自分に言い聞かせました」

■大分でプレーした感想は?
「自分はセレッソが好きで、嫌な言い方をすれば『大分をステップアップの場にして、もう一度セレッソのために頑張ろう』という気持ちで行ったのに、いいチームすぎて帰りたくないなという気持ちがちょっと出るぐらいでした。選手もスタッフも、チームとしてもいいチームだったし、サポーターもセレッソとはまた違った熱さみたいのものがあって…。セレッソは、どちらかというと温かい感じですよね」

■大分サポーターの応援が心に響きましたか?
「僕がもし大分のサポーターやったら、そこまで応援できへんのと違うかなと思いました。期限付きで移籍してきて、夏にはセレッソに帰る選手やろという感じなのに、ホーム最終戦ではゴール裏が(背番号の)36で埋め尽くされたんです。キンチョウスタジアムのセレッソ戦では『永井が必要やから貸してください』という横断幕を掲げてくれました。すごいなーって。セレッソも大事やけど、大分も大事やなあと思いました。けど、そういう契約だったし、自分にはセレッソをJ1に上げないといけないという気持ちが強くあって、帰って来ました」


Vol.10【後編】につづく

構成・文 横井素子
インタビュー:11月5日