6月19日に移籍加入を発表した山口蛍選手 への囲み取材を、本日の練習後に行いました。
本人のコメントは以下のとおりです。

Q:日本代表戦での負傷がセレッソ復帰の直接的な要因ではないということだが、いつごろから復帰を考えていたのか?
「そうですね。日頃から、向こうでプレーするなかで徐々に感じていた部分はあります」

Q:ハノーファーが2部に落ちたことも理由か?
「1部に残っていても、気持ちは変わっていないと思います」

Q:清武弘嗣選手がハノーファーから移籍したことも関係があるか?
「いえ、チームが2部に落ちたこと、キヨがいなくなったことは関係がないというか…。と言っても信じてもらえない立場ではありますが、セレッソに対する気もち、思いだけで決断しました」

Q:復帰に関して、誰かに相談はしたか?
「(柿谷)曜一朗くんにはしました」

Q:柿谷選手からは、どんなことを言われたのか?
「いや、それをいうと…なんでやめておきます。最後は自分で決めました」

Q:海外で実際にプレーをしてみてどう感じたか?
「今の思いと真逆の思いで行ったつもりだったんですけど、どうしても向こうでやっていると、自分でもわからないですけど、そういう思いがどんどん強くなってきて、自分の中からセレッソというものが離れないというか、どうしても切り離せない存在ではあったので。この(セレッソの)練習着を着ていないというのも、すごく違和感がありました」

Q:海外での生活や言葉で困ったことは?
「特に困ることはなかったです。環境も良かったし、ハノーファーもすごく温かく迎え入れてくれていました。向こうは残ってほしいと思っていたけど、自分にこういう強い意思があることを尊重してくれたことは感謝しなくてはいけないし、またこのタイミングで帰ってこられるように動いてくれたセレッソの関係者にも感謝しないといけないです。それは、これからプレーで返していくしかないと思います」

Q:セレッソをJ1にあげるのはもちろん、強くするという思いについて。
「もちろん、そういう気持ちがなければこの決断には至らなかったと思いますし、残りの自分のサッカー人生のすべて、このクラブとともに歩んでいきたいというのはあります」

Q:いつの日か、またヨーロッパに挑戦を…という気持ちは?
「いや、このクラブでできるだけ長くやって、必要とされる限りはずっとこのクラブでやっていきたいというのがあります。こういう形で帰って来たというのもあるので、なにか形として、サポーターの方々とかセレッソの関係者の方たちに恩返ししたいというのはあります」

Q:あらためてセレッソへの思いは強くなったか?
「もちろん、行く前もありましたが、行くと想像以上に感じた部分ではあるし、自分でも行かないとわからない部分ではありました」

Q:(背番号)6番をつけたかったのでは?
「まあ、そうですね。でも仕方ないです(笑)」

Q:負傷に関して、今の段階でプレーに支障は?
「いえ、ないですね。部分的な感覚がなかったりというところはまだ取れないのはありますが、それ以外はないです。怖さもないです。今日、練習試合を90分間やってみて、体力的にも問題ないです」

Q:ボランチには、ロンドン五輪代表で一緒にやっていた山村和也選手、扇原貴宏選手もいるが?
「山くんとは久しぶりにやることになりますが、ライバルになるのか、パートナーになるのか…わからないですけど、お互い刺激し合いながらやっていけたらいいと思います」

Q:帰ってくることについて、正直悩んだのか?
「うーん…決めていたのはあるけど、こうやっていろいろ言われるだろうというのはあったので…(苦笑)」

Q:もうちょっとヨーロッパでプレーしているところを見たかったという声もあると思うが?
「はい、それはもう…
(Q:プレーで返していくということか?)
はい、そうですね」

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練習試合の結果 vsFC今治