初めて話をお聞きしたのは、2003年にセレッソ大阪の選手寮に来られた当初のころ。フリーランスのライターとして、サッカー専門誌のインタビューをお願いした。いわゆる「人物モノ」の取材で、有名老舗旅館の総料理長がサッカークラブの選手寮の料理人に転身、というテーマだった。
「選手に出している食事を食べてみて」と、ごちそうになった。おいしかった。本物のプロの料理だった。インタビューでは、旅館で50人もの料理人を束ねていたことや、今は引退して悠々自適だが、セレッソから声を掛けてもらったので、「今までの仕事と比べたら、『ままごと』みたいなもんやけど、やってみようかなと思ったんよ」。そんな話を聞かせてもらった。
寮の1期生はわずか数人だったから、確かに秀島さんにとってはままごとみたいだったのだろう。が、年を経るごとに寮生は増えた。クラブが「育成型」の方針を打ち出して以降はさらに顕著で、近年は30人を超える選手が入寮していた。もはや、ままごとどころではなくなっていた。
秀島さんがいた13年の間、何度も寮に行った。広報担当をしていたときは、インタビュー取材の立会いをしたことも多かった。香川真司選手をはじめ、寮を巣立った選手が次々に日本代表へ、海外へと活躍の場を広げたことで、寮や寮長が注目されることも多くなった。私も拙著(「セレッソ・アイデンティティ 育成型クラブが歩んできた20年」)を執筆する際に、長時間のインタビューをお願いした。
そのなかで、強く印象に残っているのは、故郷を離れるときに母親から言われたという言葉について、だ。
「15歳で九州から出てくるときに、母親から言われたのが、『人を喜ばせることができる人間になりなさい』と『人の役に立つような人間になりなさい』ということ。この2つが、自分の仕事のすべてにあるわけ。セレッソでも私は喜ばれることをしている。選手には、その子が伸びるように仕向けてあげている。母親に言われたことを守って、正直に、悪いことをせんと、その企業のためになることをするわけやね」
もう1つ、しばしば聞いたのが、「料理人もサッカー選手も同じ技術者。やるからには命がけでやれ」という言葉。「自分は命がけでやってきた。技術者には大変なことがいっぱいある。でも、努力すれば乗り越えられる、そういうふうになっている。死んだつもりでやれば大丈夫や」。
サッカーのことは素人。そう秀島さんは言っていたけれど、選手を見抜く目は鋭かった。
「あの子は今、あきませんわ」「あの子はきっとよくなる」。若い選手の名前を上げて、よく話していた。才能がありながら活かせていない選手、緩みが感じられる選手は、自らの経験を語ることで諭した。
「一番よく言うことをきいたんは香川(真司)くんやな」。秀島さんは話していた。
後編につづく
文・横井素子
◆横井素子 プロフィール
奈良県奈良市生まれ。広告代理店勤務のあと、フリーランスの編集・ライターとしてセレッソ大阪の広報ツールの制作などに携わる。
1999~2000、2008~2011年はセレッソ大阪トップチーム広報担当、現在はセレッソ大阪堺レディース広報担当、セレッソ大阪公式ファンサイト編集責任者を務める。
ニュース
続 セレッソ・アイデンティティ|第14回:もっと、話をお聞きしたかった~寮長・秀島弘さんの思い出~前編 カテゴリー:
コラム,
続セレッソ・アイデンティティ
2016年8月10日(水)
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