現役を終えた選手たちのセカンドキャリアを紹介するこのコーナー。今回は、セレッソ大阪U-15、U-18でプレーしながら、トップチームを経験することなく「引退」したある選手を紹介したい。  度重なるケガ、そして手術を経験しながら、今新しい働き場所で輝こうとしている若きスクールコーチの話である。



同期は南野拓実、 同じポジションを争うライバルでした


「(南野)拓実、(秋山)大地は同期です。ふたりとも、中1から一緒でしたね」  今井誠次郎は、柔和な表情に笑みを浮かべて話し始めた。
「セレッソとの出会いは小学6年生の時です。当時は地元の(大阪府)八尾市のつばさFCでサッカーをして、大阪府トレセンのメンバーにも入っていました。セレッソの公式戦の前座試合にトレセンのメンバーで出たのを見てもらっていて、スカウトの貴志(俊治)さんに声をかけてもらいました。それまでまったく接点がなかったセレッソに誘ってもらえたことは、びっくりしました。スカウトされることも初めてでした」

今井誠次郎
今年21歳になった。スクールコーチの中でも若手のひとりだ。

 もともとセレッソが好きで、試合も見たことがあったという今井は、すんなりU-15へ入ることを決意する。しかし…。
「セレッソに行くことが決まったにもかかわらず、6年生の終わりに左足の前十字靭帯を切ってしまったんです。成長期だったのですぐには手術ができなくて、まず切れた靭帯を取るだけの手術をして、中学生になった5月ごろに体の違う場所の腱を前十字に移植する手術を受けました」

 ドクターからは、「小学生で靭帯を切るなんてめったにない」と言われた。それがケガとの長い付き合いの始まりだった。
「手術後の1年間はリハビリでした。中学1年の終わりごろに復帰できる予定でしたけど、部分合流した練習中に、また同じところをケガしてしまった。パスがずれて、左足を伸ばしてボールを触ろうとして…痛みはそんなになかったので、大丈夫と思っていたら、トレーナーから『病院に行ったほうがいい』と言われて、検査をしたら切れていた。再発でした」

 復帰を目前にしながら、またしても負傷…。再手術を告げられて心は揺れた。
「逆算すると、中学2年の間はまるまるリハビリ生活になる。そう考えると、気持ちは不安定になりました。1回目は『よっしゃ、頑張ろう』と思えたんですが、さすがに少しサッカーから離れたいなとも思いました。でも、『サッカーをとったら、自分に残るのは何なのか』と考えたら、サッカーしかなかった。そのときは、(当時育成専任の)トレーナーの中山(直人)さんにお世話になりました」

 時にはオフを返上してリハビリに付き合ってくれた中山トレーナーの支えもあって、中学2年の終わり(2009年)に復帰を果たした。
「初めて試合に出たのが、3月のクラブトーナメントでした。相手は長野FCで、残り15分というところで途中出場でした。チームには拓実も大地もいました。やっと、やっと、でした」

 セレッソに入って初めての公式戦。つけた背番号は「24」だった。U-15に入った当初の背番号は「10」。しかし、支給されたそのユニフォームは、一度も袖を通すことなくクラブに返していた。

今井誠次郎
スポーツクラブのほかのイベントのお手伝いをすることも。

 中学3年のシーズンは、大きなケガをすることなく順調だった。全国大会も経験し、韓国遠征にも参加した。
「U-18に上がることは、夏ぐらいには決まっていました。正直、『なんで昇格できるの?』と思いました。半年ぐらいしかサッカーしていないのに、どこをどう見て決めているのかなと不思議でした。僕自身は、U-18には絶対に上がれないと思っていたから、どこの高校へ行こうかと考えていました。サッカーをしていない期間が長くて、ほぼ2年間走っていないから、GKより体力がなくて走れなかった。高校も行けるところがないかも、と思っていました」

 そんな今井を待っていたのが、U-18の「走るサッカー」だった。
「U-18は、大熊(裕司)監督が就任したシーズンでした。初めてU-18で練習した時、大熊さんはピピッと練習を止めて、『なんでボールを取りに行かないの?行けよ!』と言われました。みんな大熊さんのサッカーは初めてで、知らなかったんです。そこから叩き込まれました。びっくりしました。こんなにボールに行くんや、って。めちゃめちゃしんどかったです。夏はプールに入ったかのように服はびしょびしょ、冬は湯気が出ました(笑)。それぐらい走りました。練習は月曜日だけが休みでしたけど、火曜日がフィジカルなんで、月曜日も気が抜けなかった。過ごし方を考えないと、次の日に“地獄”が待っていましたから(笑)」

 キツかったが、充実した毎日だったU-18での1年目。高校では、南野、秋山、岡田武瑠たちと同じクラスで、ほぼ1日一緒に行動していた。
「高校1年の途中までは、普通にサッカーができました。それが、夏にまたケガをしてしまった。クロスの練習をしている時、ニアに合わせに行ったら、出てきたGKとぶつかって…3回目が一番痛かったです。その時はさすがに『あ、切れたな』とわかりました。もう1回手術。このときは、トレーナーの北浦(敦士、現フィジオセラピスト)さんにお世話になりました。すごく親身になって、手術にも付き添ってもらいました」

 高校2年の1年間はまるまるリハビリに費やした。筋肉をつけなければいけない年代に入っていたから、その内容はハードなものだった。練習内容以上につらかったのは、チームメイトと一緒にいることだった。
「学校はみんなと一緒に行くけど、グラウンドに行くと僕はリハビリでみんなは練習…なんとなく話も合わない気がして、学校へ行くのもイヤになりました。復帰は3年生の初めごろ(2012年)。メンバー争いも激しくなっていて、下の年代でも日本代表に入っている選手や特長のある選手が多くなって、復帰明けの僕がどうやってメンバーに入り込むか、考えましたね。フィジカル面でのブランクがすごくあって、しんどいなと思っていました。ポジションはずっとFW、拓実と同じです。向こうはそう思っていないでしょうけど、ライバルは拓実でした。昔から絶対に負けたくないという気持ちがありました。高校3年で復帰した時、拓実はもうすごい存在になっていた。かなわない相手ではあったけど、負けたくない気持ちはずっとありました」

2nd HALFへつづく


文・構成 横井素子



【いまい せいじろう】
1994年5月17日生まれ 大阪府出身。
地元のつばさFCから2007年にセレッソ大阪U-15に加入。2010年には、U-18に昇格したが、4度の左足前十字靭帯断裂を負い、2012年の高校3年時に引退を決めた。
2013年からセレッソ大阪サッカースクールコーチを務め、今年が3年目。南野拓実(ザルツブルク)、秋山大地(愛媛FCに期限付き移籍中)とはU-15時代からのチームメイト。
現在はセレッソ大阪スポーツクラブ泉大津校のメインコーチを務める。
セレッソ大阪スポーツクラブ スタッフ紹介
コーンを運ぶ写真で手伝っていたのは、セレッソ大阪ランニングクラブ BRISAのイベント。