フィジオセラピストという耳慣れない肩書きのスタッフがセレッソに誕生したのは、2012年のこと。ケガをした選手のリハビリやトレーニングをサポートするのがその役割だ。
そのフィジオセラピストの北浦敦士もまた、元セレッソ大阪の選手である。ただし、トップチームは経験しておらず、プレーヤーとして在籍したのは高校生まで。今は“裏方”としてトップチームとアカデミーを支えている。
第5回 1st HALF 

言葉ではなく、
「そばに一緒にいる」ということ


 早稲田大学で4年間、さらに同大学院で2年間学び、鍼灸師の資格も携えて関西に戻った北浦敦士。2010年から、セレッソ大阪の育成部トレーナーをアルバイトという形で務めることになった。同時に、フィジオセラピスト(理学療法士)の資格を取るための専門学校に通い始めた。
「フィジオセラピストは、医学的な解剖学・生理学・運動学というところをベースにしているのが特徴です。そこから動作を見て、運動させたり、動かしたり、動作を変えていく、というアプローチをしていきます。
 鍼灸やマッサージをメインにされている方は、硬くなっているところをほぐしたりして症状を緩和させます。フィジオセラピストは、まず動きを見て、硬くなっている原因が何なのかを突き止めて、そこに対してアプローチをして動きを変えていく。動きを変えていくことで、無理に使わなくなってうまく動作が行える、体がうまく使えるようになり張りや痛みが減っていく、というやり方です」


 2010年から2012年の3年間、トレーナーとしてセレッソの育成部で働きながら専門学校に通い、資格を取った。
「フィジオセラピストは医師の指示の下で動くというところがあるので、どちらかというと病院で働かれている方が多いです。でも最近では、スポーツの現場にも出てきました。Jリーグでも増えてきています。海外ではヨーロッパや南米には多い。トレーナーというのはもともとアメリカの文化なんです。サッカーにおいては、フィジオセラピストのほうがメジャーだと思います」

 2013年、すべての学業を終え、セレッソ大阪アカデミーのフィジオセラピストとしてプロ契約をした。その年は、さらに病院での経験を積みたいという希望で、昼間は病院で勤務し、夕方からセレッソアカデミーの選手たちを担当した。
「アカデミーの選手たちは数が多いので、今より担当する選手は多かったです。全カテゴリーを対象に、多い時は南津守のグラウンドに30人ぐらいケガをした選手が来ていたこともありました」

 昨シーズンからは、トップチームも兼任するようになった。
「今は、トップチームで、選手ひとりひとりとある程度じっくり向き合って仕事ができています」と言う北浦が、心を砕くのは大きなケガをした選手へのケアだ。
「こちらから何か働きかけをしても、響きにくい部分があることも…。だから、どちらかというと普通に寄り添っているというか、一緒に(リハビリやトレーニングを)やっていくというスタンスですね、僕は。選手に向かって、ああしろこうしろとはあまり言わないです。特別に言葉をかける…というのもないです。ケガをしている選手は、落ち込んでいる時期があったり、選手によっては気持ちの波が激しい場合もあります。それに対してアプローチすることもありますが、対応はいろいろです」

 なかなか治らないケガを抱えている時、「こんなことしてホントに治るの?」と言う選手もいるという。
「それに対して何か言っても、響かないことはあるんです。何もできないからと見捨てることは決してしないけれど、あまり声をかけすぎても選手にしたら反発したくなることもあります。『こんなことして意味ないやん』『ずっとやってきたのに、今も痛いし』と言う選手への関わり方は難しい。それはプロの選手だからこその言葉ですし、トップチームを担当するようになって感じる難しさでもあります」

 厳しいケガを抱えるプロの選手との関わり方はデリケートなもので、簡単ではない。試行錯誤の日々が続いている。
「ほかの選手がサッカーをしに来ているところで、サッカーをせずにリハビリなどをするのはものすごくフラストレーションの溜まることです。話をすることもありますし、今日は何もやらないとすっぱり割り切って何もしない時もあります。でも、辛くても痛くても、やらないといけない時もある。選手への接し方は、先輩のトレーナーさんにアドバイスをもらうこともありますね」

 やりがいを感じるのは、大きなケガをした選手が、復帰して試合で活躍するのを聞いた時だ。
「U-18の今井誠次郎 (現スクールコーチ)がケガから復帰して、プレミアリーグで点を決めた時はうれしかったですね。誠次郎の年代では、ほかにもサッカーができなくなるぐらいの大きなケガをした選手がいたんですが、復帰して今は元気に大学でサッカーをしています」


2014年からはトップチームも兼任。プロ選手だからこその難しさもあると言う

「今はトップとアカデミーの両方で、いろいろな選手に関わらせてもらっています。できるなら、いつかアカデミーでがっつり仕事がしたいという思いがあります。自分が育成の時にケガをして、トレーナーという人たちにかかわって成長できた部分があったので、人間育成じゃないですけど、自分も子どもたちの成長に役立ちたいと思っています」

 セレッソで育った自分が、また将来のセレッソを担う子どもたちをサポートする、それが北浦の夢だ。
「自分がケガをした時、誰かが一緒にいてくれたという思いがすごく強い。現場ではトレーナーさんがいて、病院で手術した時は先生(医師)がいて、理学療法士の人もいてくれました。そういう人たちに、復帰をサポートしてもらいました。今、リハビリをしている選手も、監督がたまたまトレーニング室に見に来てくれたりすると、いつもより頑張れたりする。見られているというのを選手は常に意識していますし、誰かが見てくれているというのがないと続かないという部分もあります」
 言葉だけではなく、寄り添い、見守ること。北浦は、今日もグラウンドで、クラブハウスで、選手を支えている。

文・構成 横井素子



【きたうら あつし】
1984年4月10日生まれ、兵庫県出身
セレッソ大阪ジュニアユース、U-18で選手としてプレーした後、早稲田大学に進学。同大学大学院を経て、2010年にセレッソ大阪アカデミーのトレーナーに。フィジオセラピストの資格を取得し、2012年からはフィジオセラピストとして勤務。2014年からはトップチームとアカデミーを兼任している。
■取得資格
(公財)日本体育協会公認 アスレティックトレーナー、NSCA認定ストレングス&コンディショニングスペシャリスト、 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、理学療法士
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